大阪地方裁判所 昭和44年(わ)4108号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕(殺人訴因に対し傷害致死と認定した理由)
被告人に対する殺人の訴因の要旨は、被告人が判示の日時、大阪府大東市錦町八番先路上において、平井一夫から「お前は四条畷で顔がきくのかきかんのか知らんが大きな顔をさらすな」などと罵倒されたため憤激のあまり同人を殺害しようと決意し、いきなり判示の果物ナイフで同人の胸部を突き刺し、同人に対し判示の如き創傷を負わせ、該創傷にもとずく心臓血液タンポナーデにより同人を死亡させて殺害したものであるというのであるが、これに対し当裁判所は殺意を排斥して判示のとおり傷害致死の事実を認定したので、以下その判断を示すこととする。
前掲各証拠によれば
本件犯行は、ナイフという鋭利な兇器を用いて人体の最重要部位の一つである右前胸部を突き刺して創管の長さ10.4センチメートルの刺創を与え、犯行後約三〇分で右刺傷により被害者を死に至したことが認められ、右の如き犯行の外形的事実より見れば犯行当時被告人には、たとえ未必的にもせよ殺意があったのではないかとの疑問が生じないではないが、関係各証拠によれば被害者と被告人は同じアパートに居住し、日頃は仲の良い友達であつて、犯行当日も共にパンチコ遊戯などして夕方まで行動を共にしており、被告人が被害者に対して恨みを抱いていたという事情は何ら認められないうえ、前記認定の如く本件犯行は被告人が洋酒喫茶「白樺」で飲酒中に被害者から一緒に飲もうと誘われたのに対してこれに応じなかつたという些細なことに端を発し、これを根に持つた被害者から罵倒されたので飲酒していた勢も手伝つてかつとなり思わず所携の果物ナイフで被害者を突き刺したものであつて、その動機原因も、被害者を殺害しなければならないほどに深刻なものではないし、更に犯行に使用したナイフは被告人が前もつて携帯していたものではなく、被害者から表に出ろと言われた際偶々「白樺」のカウンター上に置いてあるのが目にとまつて持ち出したものでありしかも右ナイフは刃体の長さ約10.7センチメートルの果物用ナイフであつて一突きで人を死に致す蓋然性は必ずしも高いとは言い難く、そればかりか清野庄一の検察官に対する供述調書および緊急逮捕手続書によれば被告人は被害者を一突きした後犯行現場に呆然と佇立し、被害者に対し更に危害を加えようとする態度は何ら示しておらず、さらに犯行後も被害者に付き添つて病院まで赴き、待合室において頭を抱え込み「死なんでくれ、死なんでくれ」と口走り、知らせを受けて病院に赴いた検察官にすがりついて「死んだのですか、死んだのですか」と質問していたことが認められるのであるから、被告人にとつては被害者に死の結果の発生したことは予想外の出来事であつたと考えられるのであつて、以上の如き本件犯行の動機、使用された兇器の形状、犯行後の被告人の言動、更には被告人と被害者の交友関係などに照らせば、本件においては、被告人が死の結果の発生までをも認識して、あえて犯行に及んだものとは認め難いというべきである。もつとも、被告人は検察官に対し「殴り合いになればナイフを使つて被害者に向つて行くつもりであつた」旨供述しているのであるが(昭和四四年一二月一九日付供述調書)、他方、警察官に対しては「果物ナイフで被害者を傷つけようとは思つていなかつた。ただ喧嘩になつたとき被害者の方が強そうな感じだつたのでおどかそうと思つた」旨供述しているのであつて(司法警察員に対する同年一二月一六日付供述調書)、先に認定したような被告人と被害者との間柄、被告人が被害者から挑発されて「白樺」の店外に出るに至つた経緯などからみれば、被告人が喧嘩闘争を予期し、これに立向う意図のもとにナイフを持ち出したものとは考えられず、被告人の当時の心境は、司法警察員に対する供述内容の如きものであつたと認める方がむしろ自然であり、そして前示の如き諸般の事情を併せ検討するならば、被告人の検察官に対する右の如き供述をもつて殺意を推認することは早計であるといわなければならない。
以上のとおり、本件犯行当時被告人が被害者に対し確定的ないし未必的な殺意を抱いていたと認め難いので、判示のとおり傷害致死の事実を認定する次第である。(松浦秀寿 井上広道 南三郎)